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人見次郎 (台湾総督府総務長官) : ウィキペディア日本語版
人見次郎 (台湾総督府総務長官)[ひとみ じろう]

人見 次郎(ひとみ じろう、1879年12月16日〔参考文献『日本人物情報大系73』222頁。〕 - 1959年12月2日〔『朝日新聞』(東京本社発行)1959年12月3日夕刊、5面の訃報より 〕)は、日本の農商務官僚実業家朝鮮総督府総督官房鉄道局長、台湾総督府総務長官。
== 経歴 ==
京都府船井郡富本村(現・南丹市八木地区)で人見次郎八の二男として生まれる。第三高等学校を経て、1904年7月、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格した。農商務省に入り、山林局属となる。特許局事務官・庶務課長、兼特許局図書館長衆議院事務局書記官兼特許局事務官などを歴任。
1908年統監府に転じ、特許局事務官に就任。1910年8月に朝鮮総督府が設置されると、書記官・農商工部商工課長に就任。以後、同部殖産局商工課長、農商工部農務課長などを歴任し、1917年7月、総督官房鉄道局長に就任。1919年5月まで在任し退官した。その後、東洋拓殖株式会社理事を務め、さらに、1926年フィラデルフィアで開催された米国独立150年記念万国博覧会(:en:Sesquicentennial Exposition)の日本出品協会幹事長となる。
1929年7月、朝鮮総督府時代の上司であった石塚英蔵台湾総督に就任し、同年8月、台湾総督府総務長官に就任した。1931年1月、霧社事件により石塚総督と共に辞任。その後、朝鮮無煙炭株式会社常務取締役、西鮮鉄道株式会社社長などを務めたが、戦後公職追放となった。
1959年12月2日午後1時15分頃、東京都世田谷区上北沢の自宅にて脳軟化症のため死去。同月4日午後1時よりカトリック世田谷教会において告別式が営まれた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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